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NEIL YOUNG
今宵その夜
NEIL YOUNG

CROSSBY, STILLS, NASH にYOUNGが加わったCSNYはDE JA VU一枚しかアルバムを残していないにも係わらず、伝説のロックフェスティバル ウッドストックに4人で登場したこともあり、時代を象徴するスーパーグループとして長く語り継がれていく存在となりました。
NEIL YOUNGは1945年にカナダのトロントで生まれ、66年にL.A.でSTEPHEN STILLSとBUFFALO SPRING FIELDを結成しデビュー、解散後にはソロデビューを果たしますが、同時にCSNYとしても活動を行っていたのでした。名盤「AFTER THE GOLD RUSH」に続く4枚目のアルバム「HARVEST」から「HEART OF GOLD」という全米ナンバーワンヒットが生まれ、牧歌的なアコースティックサウンドに乗せた平易な言葉で綴るシンボリックな歌詞、覚えやすくキャッチーなメロディというイメージを確立しながら、後の「RUST NEVER SLEEPS」に歌われた如く錆びるより燃え尽きたいと次々に殻を破り音楽性を変化させていきました。彼のミュージシャンとしての魅力はソングライターとしてのみならず、儚げなその声も大きな要素ですし、アコースティックな歌世界とは対極とも言えるバックバンドCRAZY HORSEと作り上げた「ZUMA」収録の「CORTEZ THE KILLER」に代表される重く引き摺るようなへビィなサウンドとかきむしるような独特のギターもその魅力の一面と言えましょう。
彼のキャリアの中でも異彩を放っているのが75年発表の「TONIGHT’S THE NIGHT」です。ジャンキーになり死んでいったCRAZY HORSEのギタリストDANNY WHITTONと CSNYのローディーだったBRUCE BERRYの鎮魂歌とも言うべき暗く重いテーマのアルバムです。友の死を扱ったこの作品の収録に当たってはとても素面では演奏できなかったものか、メンバー全員がテキーラをしこたま飲んでもう一滴でも飲めば完全に酩酊するというぎりぎりの状態で行われたと伝えられます。その内容のあまりの重さに、彼のキャリアが台無しになると懸念してレコード会社は直ぐには販売を許可しませんでした。しかし、「HARVEST」路線の幻のアルバム「HOME GROWN」発表のパーティーの席上、手違いから「HOME GROWN」と「TONIGHT THE NIGHT」のテープが交互に繰り返し流され、出席していた音楽仲間や友人達が聞き込むほどに耳障りがよく明るい前者よりも荒削りで暗い後者に感銘を受け、THE BANDのRIC DANKOの絶対「TONIGHT THE NIGHT」を発表すべきたという一言で、ついにYOUNGも何があってもリリースするという不退転の決意をしたという逸話が残っています。
「HARVEST」を発表し、のりにのったYOUNGがツアーメンバーとして旧知のDANNYを呼び寄せてはみたものの、ヘロイン中毒の彼は演奏中もギターを抱えて突っ立っているだけといった状態で、泣く泣く彼を外す決心をして、帰りの飛行機代として50ドルを手渡したのでした。その晩、NEILのもとに検死官から電話があり、そのなけなしの50ドルで飛行機チケットの代わりに混じりけのないヘロインを手に入れたDANNYがオーバードーズでなくなったことを聞かされたのでした。バックを長く勤め友人でもあったDANNYの死に図らずも深く係わってしまった自分に対して、その後YOUNGは長い間罪悪感と後悔を抱えて暮らすことになったのです。
BRUCE BERRY WAS A WORKING MAN
HE USED TO LOAD THAT ECONOLINE VAN
A SPARKLE WAS IN HIS EYE
BUT HIS LIFE WAS IN HIS HANDS
LATE AT NIGHT WHEN THE PEOPLE WERE GONE
HE USED TO PICK UP MY GUITAR
AND SING A SONG IN A SHAKY VOICE
THAT WAS REAL AS THE DAY WAS LONG
‘CAUSE PEOPLE LET ME TELL YOU
IT SENT A CHILL UP AND DOWN MY SPINE
WHEN I PICKED UP THE TELEPHONE
AND HEARD THAT HE’D DIED OUT ON THE MAINLINE
<NEIL YOUNG - TONIGHT’S THE NIGHTより>
「TONIGHT’S THE NIGHT」ではBRUCE BERRYのことを直接扱っています。CSNYのローディー時代からヘロインに手を染めていたのでしょう。ツアー用のバンを運転していた彼の目にはSPARKLE(ジャンキー特有の目の輝き)があったけれど命はまだ手の中にあったと歌われます。一般には無名だったBRUCEが客が去ったステージでYOUNGのギターを手に取り震える声で歌う姿に生々しい感動を覚えたことが伺われます。電話でBRUCEのオーバードーズによる死を聴かされたときの背筋を悪寒が走る様が目に浮かぶような悲痛な歌声です。
ロック史上でも最もパーソナルなメッセージが詰まった、しかしそれ故にこそ逆に普遍的な訴求力を持つアルバムといえるのではないでしょうか。